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荒木家住宅
(あらきけじゅうたく)
隣接する高野町の堀江家住宅と同様の広間をもつ、三間取り平面の住宅である。この住宅の創建年についてもつまびらかでないが、床上部の上屋柱は細みであり、整形しているところから、堀江家住宅よりやや下がる17世紀末から18世紀初めにかけての建築かと推定される。座敷の柱間隔は規則的であり、畳寸法に合わせ建具を用いることをあらかじめ想定している造りとなっている。「なんど」隅の上屋柱は抜かれており、全体として堀江家住宅より整った造りになっている。広間の「なんど」側奥に一間余四方の室があった痕跡を残している。これは堀江家住宅にも、ほぼ同じ場所に見られるもので、この地方では「あだなんど」といっている。その「あだなんど」は、日本家屋の三間取り(広間型)から四間取り(田の字型)平面への発展過程を示す遺構として、興味深く見られている。
ただ、荒木家は永禄3年(1560)に大和国から現在地へ土着し、以後代々神官としての務めを果たしており、座敷と納戸境に「高間」と称する神座を設けているところは、堀江家住宅と異なるところである。
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