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木原家住宅(きはらけじゅうたく)

 木原家住宅のある高屋町白市(しらいち)は、かつて戦国時代には、土地の豪族平賀弘保の白山(はくさん)城下の町であったこともあるが、江戸時代に入り元和(げんな)3年(1617)からは、春秋に牛馬市が開かれるなど市場町として栄えた町である。木原家は、白山城の支城木原城主の子孫といわれ、江戸時代初めに白市に住み、酒造・両替などの商いを始めて、芸南有数の豪商となった。
 母屋は、桁行(けたゆき)11.6メートル、梁間(はりま)13.6メートルの一重、切妻造り、平入りで、本瓦葺き、塗籠(ぬりごめ)の建物となっているが、なお正面に半間の庇(ひさし)を背面に二間の下屋を持っている。間取りは梁行に向かって三分され、正面右側に土間が奥まで続く通り庭となり、左側に2列の居室部が並び、土間わきは表側に「みせ」が仕切られるが、その奥は土間境に建具はなく、段差のある「なかのま」と「つぎのま」「だいどころ」の板の間となっていて、土間と同様に上部は吹き放しとなっている。正面左側は、「みせ」の隣りに押し入れと床間のある「ざしき」があり、北側に濡縁(ぬれえん)を設けている。「ざしき」と奥の「なんど」とは壁で仕切られており、「なんど」の上に2階を設け、「なんど」の奥には「たかま」と呼ばれる食事をする板間の小部屋がある。
 町屋としては、寛文5年(1665)の鬼瓦を持ち、建築年代が明らかで、しかも粗大な構造を持つ古い形式を残している。
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