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五重塔と千畳閣(ごじゅうのとうとせんじょうかく)

 厳島神社のすぐ東「塔の岡」は、厳島合戦時に、陶晴賢がその本陣を構えた場所として著名で、その地名はこの地に五重の塔があることに由来すると思われる。
 その厳島神社五重塔は、応永14年(1407)の創建と伝え、和様と唐(から)様(禅宗様)が融合した朱塗りのみごとな構成の檜皮葺(ひわだぶ)きの建物で、天文2年(1533)には神主藤原興藤や大願寺の道本上人などによって修復され、塔の頂に立つ九輪は廿日市の鋳物師山田壱岐守によって鋳られたことも知られている。この塔の真柱は2層目でとまっている数少ない例の1つで、内陣に天井には雲龍を、来迎壁の表に蓮池、裏には百衣(びゃくえ)観音、周囲の壁板には湘水八景を添景とした真言八祖の壁画が描かれている。
 五重の塔が立つ塔の岡の大部分を占めるような宏壮な建物は、俗に「千畳閣」とか「千畳敷き」などと言われる豊国神社本殿である。桁行十三間・背面一五間・梁間八間に本瓦葺きというこの大建造物は、大きいもの好きの豊臣秀吉が天正15年(1587)に発願、同17年にほぼ完成した、毎月1度千部経を転読供養するための大経堂である。しかし、文禄・慶長の役や秀吉の死などのため、天井板は張られず正面の階段もなく未完成であるが、桃山時代の気風をよく伝える雄大な造りである。明治の神仏分離により、この堂の本尊などは厳島神社の西にある大願寺に安置されている。
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