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千葉家住宅(神保屋)(ちばけじゅうたく(じんぽや))

 海田市にあった、近世、山陽道の宿駅の1つが海田宿(かいたしゅく)である。江戸時代後期の書物に、「海田駅 館庁あり、伝馬十五匹を設く、逓送東は賀茂郡西条駅に至る五里半、西は佐伯郡廿日市に至る五里余」とあり、御茶屋、脇本陣、人馬継所などの施設があった。
 千葉家は、江戸時代、正保元年(1644)以降天下送り役及び脇本陣を務め、街道を往来する諸大名などが宿泊することがあった。
 現在まで、当時の構造・雰囲気がよく保存されており、江戸時代中・後期の建築様式を伝えている数少ないものの1つである。
 住宅は、街道の南側に間口15間の、南北に細長い敷地の北半分に、母屋・泉庭を配し、街道に沿って本門を構えている。母屋は、表構、勝手構、座敷構に分かれ、座敷構から泉庭沿いに渡廊(わたりろう)で連絡して2組の浴室、雪隠などがある。本座敷は、数寄屋風の書院造りである。勝手構・表構については、改造された痕跡があるが、千葉家所蔵の「寛政元巳酉春正月調之実測萬分ノ一 海田市神保宅地及建物略図方位正面ス」という絵図を参考にして、迫垣内裕氏が詳細に分析している。同氏によれば前述の古絵図により18世紀(寛政元年は西暦1789年)まで確実にさかのぼることができるという。
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