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願福寺薬師堂
(がんぷくじやくしどう)
方3間、宝形造りのこの薬師堂は、大同(だいどう)元年(806)の開基と伝え、鎌倉時代から室町時代末期まで七堂伽藍(しちどうがらん)を備えた禅宗の大寺院であったという。しかし、江戸時代以降は衰退し、薬師堂のみを残し現在に至っている。「願福寺」の寺号は、かつての大寺院の面影を伝えるものであろうか。
薬師堂の建立年についてはよくわからない。正徳(しょうとく)5年(1715)と寛政8年(1796)に修復したことが記録に見えており、様式から推定しても17世紀の建立かと思われる。丸柱と角柱を巧みに混用したこの建物は、後方1間通りを仏壇として、中央に薬師如来(にょらい)を、脇侍(わきじ)として日光・月光菩薩(ぼさつ)を配し、柱は来迎柱(らいごうばしら)風にしている。木鼻(きばな)や台輪が禅宗様であるのは、かつての禅宗大寺院の遺風を伝えるものであろうか。「寛文年中、庫裏破損仕り以来無住」と古文書に見えるように、痛みが目につき孤独を感じさせる小堂であるが、江戸時代には各地に見られたかと思われる庶民信仰の場の姿を伝える御堂の1つとして貴重である。お年寄りのたまり場、子供の遊び場であり、4月8日の花祭りには、甘茶詣(もう)での子供でにぎわったともいう。
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