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龍山八幡神社本殿(たつやまはちまんじんじゃほんでん)

 龍山八幡は、正和(しょうわ)2年(1313)に安芸吉川(きっかわ)氏の祖経高が、大朝本庄地頭として入封のおり、本貫地の駿河(するが)国入江(いりえ)荘吉香邑に鎮座(ちんざ)する若宮八幡を勧請したものという。そのため駿河八幡とも称している。
 現在の社殿は、内陣の柱に墨書されている「永禄元年戊午歳建申候 珍融」の銘や、吉川元春再建(弘治としている)を記した宝永5年(1708)の棟札、建築手法からその時代相応の建築と考えられる。本殿の形式は三間社流造(さんげんしゃながれづく)りで、もとは縁が後までまわっていたことを示す痕跡を残している。それにしろ中央の著名な工匠を招いて建立されたと思われ、彫刻を主にした木割は誠にみごとである。向排(ごはい)に見える向かって左側の蛙股(かえるまた)は、肩の張った輪郭や斗(ます)下の部分の一文字に近い線、足先と肘木(ひじき)の絵文様化、股内の平面的彫刻など、その図案は室町時代の特色をよく示し、その変遷を知るうえで好資料を提供している。また、本陣扉口上の斗(と)きょう間にある間斗束には三巴の墨書があるが、足がはなはだしくのびた古様の「がきどもえ」であり、建築の古さをしのばせる。
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