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今高野山の堂宇(いまこうやさんのどうう)

 今高野山は、寺伝によると弘法大師の開基とされるが、その創始は、大田荘が紀州高野山の荘園となった12世紀末であろう。大田荘は、芦田川上流域の山間盆地の沃野(よくや)で、高野山の大きな財源であったため、その勢力の拠点として、本寺である龍華寺(りゅうげじ)をはじめ山内十二院などの大伽藍(がらん)を建て、高野山の守護神である丹生(にう)、高野両明神をも勧請して、新しい高野山という意味で今高野山と称せられたのである。
 総門(室町時代建立・県重要文化財)は、一山の総出入門で、4脚門、切妻造りであるが、仁王像を安置するため柱を付加していて8脚門にみえる。
 大師堂(御影堂)は、正面三間、側面四間の宝形(ほうぎょう)造りで、弘法大師の肖像画で安置されている。
 観音堂は、方三間で、入母屋造りであり、本尊は木造十一面観音像(平安時代作・重要文化財)である。
 大師堂・観音堂は、いずれも元禄15年(1702)広島藩主により再建されたもので、密教仏堂の代表例の1つである。
 護摩堂は、方三間で寄棟造り、本尊は不動明王坐像である。今高野山には、このように数々の堂宇が立ち並び、寺観が誠によく整っている。
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