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在りし日の歌(ありしひのうた)

 縁側に陽(ひ)があたってて 
 樹脂が五彩(ごさい)に眠る時
 柿の木いっぽんある中庭(にわ)は
 土は枇杷いろ蠅が唸く(うめく)
 中原中也の詩集「在りし日の歌」の一編「三歳の記憶」の一節。山口・湯田温泉生まれの中也は、軍医であった父に従って、2歳から5歳まで広島市上柳町(現中区橋本町)の京橋川のほとりに住み、その間広島女学院の幼稚園に通った。
 近代的詠風で昭和初期の詩壇に新風を送った雑誌「四季」の同人。
 純粋で、か細いその作品のリリシズムは「愛情あるいは悔恨そのものが元来精妙であるが如き精妙さに達している」と、後に小林秀雄が評した通り。数々の珠玉の詩編を残して、昭和12年(1937)30歳の若さで病死した。「在りし日の歌」は生前に編集を終え死後刊行された第2詩集である。
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