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軽雷集以後(けいらいしゅういご)

 五月雨(さみだれ)は日暮にやみてこの堀の 
 干潟の尻に水鶏(くひな)なくなり
 中村憲吉の昭和7年(1932)五日市(現広島市佐伯区)仮寓での作。遺歌集「軽雷集以後」に収められている。
 憲吉は、昭和5年(1930)に肋膜炎を患い、予後がはかばかしくなく、長い病床生活に入った。昭和7年(1932)翌8年(1933)の2回にわたって病気静養のため、五日市に仮寓した。その仮寓先は、1回目は五日市旧港の堀割り沿いの家、2回目は海岸の砂浜に面した松並木の中の家。いずれも今は建て替わり、当時の面影をとどめていない。
 昭和8年(1933)の際には、斎藤茂吉がこの寓居を訪れ自ら聴診器を取って診察した。そのときの日記に「診察スルニ両側スデニ犯サレ、ラッセル多クキコユ」とあり、残りいくばくもない友人の命を思って暗たんとした思いを書きつづっている。
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