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道ゆきぶり(みちゆきぶり)

 室町時代初期の武将今川了俊(りょうしゅん)(貞世)の京都から赤間関までの紀行文。紀年の明記はないが、応安4年(1371)九州探題(きゅうしゅうたんだい)として下向した際のものとされる。
 道筋は、「備中屋蔭(やかげ)からおのみちの浦に着く。ここは山麓に沿いて網干すほどの庭のない家が所狭しと並ぶ」とし、「しほやく」島の歌島を紹介する。次いで西下の途次、「吉和」・「めかりの浦」・「いんの島」の名前が出る。備芸国境から沼田(ぬた)へ入り、入野(にゅうの)の大寺(竹林寺(ちくりんじ))を経、高谷(たかや)に至る。さらにおほ山・瀬野と山路を進み、かひだの浦に着く。ここで20日間逗留(とうりゅう)後、しほひの浜を通り、佐西(ささい)の浦に着く。厳島詣でを終え、地御前(じごぜん)の社の西ひがたより山路に入り、おほのを経て、芸防国境を越え岩国に向かっている。
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写真説明

千光寺山(尾道市東土堂町)
【写真ガイド】
JR山陽本線尾道駅から千光寺公園行きバス乗車または、東行きで長江口で下車。ロープウェーで千光寺公園頂上へ。

メモ

■今川了俊(いまがわりょうしゅん)(1324~1420) 静岡県生まれ
■主な作品 「鹿苑院殿厳島詣記」「落書露顕」「了俊弁要抄」

 鹿苑院殿厳島詣記(ろくおんいんどのいつくしまもうでき)には、康応元年(1389)、足利義満が厳島に詣でた折の道筋が記されている。海路をとり、おの道の西くぢら島、いとさき、高崎、たかはら、みつ、かさはや、山地、内の海、かうしろ、ひろ、くれ、はたみ、かまかりのせと、おむどのせとを経て厳島に着く。さらに西下し、おかた、おほたき川の川の末の海づらを過ぎて、岩国へ向かっている。

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