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浄土寺観世音法楽和歌(じょうどじかんぜおんほうらくわか)

  弘誓深如海 左兵衛督源尊氏
わたつ海のふかきちかひのあまねさに
 たのミをかくるのりのふねかな
  侍多千億仏 左兵衛督源尊氏
つかへこしそのゆへにこそいまもかく
 まことのみちにさはらさりけれ
 建武2年(1335)10月、足利尊氏は後醍醐天皇の政府へ反旗をひるがえした。同3年正月、京都の戦に敗れて九州へ西走した。ここで軍勢を整えて東上の途次、尾道浄土寺へ参詣し、本尊十一面観音へ法楽和歌33首を献上し、戦勝の祈願を行った。奥書には「建武3年5月5日備後国浄土寺に於いて之を詠む」と見える。 
 その後、戦勝した尊氏は、室町幕府を創立し、政権を取る。彼は暦応年間、国毎に安国寺を設置することとした。備後では、鞆の金宝寺がこれに当てられた。安国寺と同所に建てられる利生塔(りしょうとう)は、備後に限って浄土寺に置かれたのもこのような足利氏と同寺との関係の深さに由来するのであろう。
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写真説明

浄土寺本堂脇陣(尾道市東久保町)
【写真ガイド】
JR山陽本線尾道駅から東行きバスで浄土寺下下車。

メモ

■足利尊氏(あしかがたかうじ)(1305~1358)

 足利尊氏らが和歌を奉納した仏像を当時の文書に求めると、嘉元4年(1306)10月18日の定証起請文(じょうしょうきしょうもん)に見える「金堂本尊聖徳太子御作 等身皆金色 十一面観音像 安置宮殿石坐」とあるもので、またその像は現在の本堂安置の十一面観音立像(国重文)と推される。

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