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とはずがたり(とはずがたり)

 鎌倉時代の日記で5巻から成る。前3巻では、二条が文永8年(1271)に14歳で後深草(ごふかくさ)院の寵愛(ちょうあい)を受けるようになって以来の院御所を中心とした宮廷生活を、後2巻では、出家後、西行の後をしたって諸国を行脚(あんぎゃ)しながらの修行の生活を描いている。
 乾元・嘉元(1302〜1303)のころには、芸備の地を訪れ、その見聞を記している。
 備後の鞆では、にぎわしい宿から離れた「たいか島」(大可島)という小島に遊女の世を逃れて庵を営む尼に会い、彼女の思い出を聞いた。
 安芸の厳島では、波に浮かぶ社殿や盛装した内侍の様子などを見た。佐東(さとう)の牛頭天王(ごずてんのう)(安佐南区祇園)へも参詣した。
 厳島からの帰途、知りあった備後和智(わち)の女房に招かれ、和智・江田(えだ)両荘の地を訪ね、滞在した。ここで、地頭の生活を実見し、驚きの目をもって記している。
 惣領が鎌倉から下向してくるので、迎えの準備におわれていること、二条をめぐり、江田・和智両氏の兄弟争論となり、惣領広沢与三入道の裁許によって解決したことなどである。
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