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頼 杏坪・漢詩(らい きょうへい・かんし)

 頼杏坪は、兄春水(しゅんすい)・春風(しゅんぷう)に従い大坂(当時)に遊学、さらに江戸に学んだ。天明5年(1785)に藩儒に登用された。文化8年(1811)三次(みよし)・恵蘇(えそ)・奴可(ぬか)・三上(みかみ)の郡奉行、三次町奉行に任ぜられた。文政元年(1818)からは、「芸藩通志」の編纂に当たった。「芸藩通志」巻54には、杏坪(きょうへい)が、文政3年(1820)秋に大野雌雄滝(佐伯郡大野町・現廿日市市大野町)へ来遊し、詠んだ詩がある。「雄は六丈三尺、其水壮なり、雌は廿七丈余にて長けれども艶なり、奇観幽賞、近方類まれなり」と記されている。この滝の景観を訪ねた文人墨客も多く、多くの詩歌が残されている。
 この滝は夫婦(みようと)滝とか妹背(いもせ)滝ともいわれる。滝の崖下付近に大頭(おおがしら)神社が建つ。この神社では、厳島の御烏喰式(おとぐいしき)に出現する神烏(ごがらす)の「四烏の別かれ」の神事が行われる。
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