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備後表(びんごおもて)

 青畳の感触はすばらしいが、その最高の畳表が備後表といわれている。
その声価は織田信長が安土城天守に「畳は備後表に高麗縁」として用い、豊臣秀吉を祀る豊国神社に備後表が使用された記録が見られる。安芸備後の領主福島正則が江戸幕府に献納したのが例となって、備後表は日本最高の畳表として、水野・阿部と公儀御用が続き、その製造には献上表改役(あらためやく)や表奉行が任じられ管理に当たって、藺(い)草の栽培から畳表の製作にいたるまで、保護統制が行われていた。
江戸時代初め沼隈郡山南の長谷川新右衛門が、短い藺草の先を交差させて織りあげる中継(なかつぎ)表を考案し備後表の量産が可能となり、商用畳として他領へも売り出し、これに運上を課して藩の重要な財源としていた。
福山城下町入り江に近く藺町が存在し、領内産出のすべての畳表はここに集荷され、畳表改役の検査を経て、江戸・大阪・堺の御用畳請負商人に引き渡されていた。
廃藩後は自由販売となったが、業者は備後本口畳表同業組合を結成し、品質の維持向上を図り、販路の拡張策を講じた。しかし現在その製造はすべて動力化し、手織りの表はわずか数名の古老に受け継がれているのみである。
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