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ひんよう踊り(ひんようおどり)

 毎年、豊作と氏子の無病を祈願して、本郷八幡神社の祭礼に氏子が奉納しているもので、「ひんようさ−」とはやしながら花を戴いて踊るため、「ひんようおどり」とか「花踊り」ともいわれている。
その起源については定かでないが、中世に遡るともいわれ、旧沼隈郡の北西部に伝承され、文化6年(1809)の『福山志科』巻一、風俗に「花踊り」として、また文化15年(1818)の『御問状答書』にも「花踊りのこと」として記されており、少なくとも江戸時代中期ごろには盛んに踊られていたことが推察できる。
踊りの様式は竹の先に御弊を付けた梵天(ぼんてん)を持つ男達を中心に、花で飾ったキリコと呼ぶ灯籠を手に持つ踊り子達(昔は頭上にいただいたという)が外側を囲み、太鼓の拍子と音頭にあわせ、男達は梵天を振り、踊り子は火をともしたキリコを廻したり、上に持ち上げたりしながら囃して踊る。
宵闇にぼんやりと映し出される踊り子のキリコ、黒白の衣裳に身を包み、高々と梵天をさし上げる男達の動きが印象的で、豊作を祝う人々の心がにじみでている。
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