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仁方の櫂踊り(にがたのかいおどり)

 仁方町の氏神、八岩華(やいわばな)神社の祭礼である10月の第2日曜日、3年ごとに行われる子供を中心とした柏子木による囃子(はやし)と音頭による行進型の踊りである。戦前から30年代前半までは同町大東地区の若者が中心となって踊っていたが、若者の"祭り離れ"に伴って踊り手が激減、昭和34年ごろから同地区の子供が引き継ぎ、伝統芸能を守っている。
 由来は明治初期にさかのぼる。大東地区の高木庄助という人物が伊勢方面で習得してきた踊りを、秀助、作松兄弟、地元有志と踊り始め、その後、盆、祭礼、祝賀行事に船乗りを中心に踊り伝えたものである。大正天皇即位のご大典、呉線の開通祝い、塩田の完工などの行事には町民こぞって参加し、踊り祝ったことが語り草になっている。
 踊り子は大東地区の小学3−5年生の男女。祭りの当日は、法被(はっぴ)に鉢巻、手甲脚半をつけ、草履ばきで小さな櫂を持ったかわいらしい姿で、若者たちの担ぐみこしや太鼓の列に続き、大人の歌う伊勢音頭と囃子にあわせて威勢よく櫂を打ち鳴らし、踊りながら町内を回る。
 秋の色が日増しに濃くなる街角。「パチパチ」という櫂の音とともに哀愁たっぷりの伊勢音頭が響き渡る。沿道を埋め尽くした住民も子供たちのかわいい踊りに引き込まれる。まさに瀬戸内の秋を彩るにふさわしい伝統芸能である。櫂踊り形式のものは瀬戸内沿岸には珍しく、昭和45年には呉市の無形文化財に指定された。
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