えんこうのつべぬき

神石高原町

むかしむかし、油木町新免の田川瀬川(帝釈川の下流)のほとりの、古川池(ふるつこういけ)という池にえんこうが棲んでいました。 この池は、池の底からいつも水がふき出ているので、大水で池が川になっても、すぐに下から、たまった土砂をふきあげて流し、 きれいな水をいつもたたえているというふしぎな池です。

また、この古川池よりもずうっと南のほうの高山(たかやま)というところにある、にごり池にもえんこうが棲んでいました。 えんこうは人間の尻から手をつっこんで、つべ(人間のはらわた)をぬいて食べるといいます。

さて、この古川池のえんこうとにごり池のえんこうとが、どちらがさきにつべを100とるか競争することになりました。

そのころ、尾道から東城のあいだを、魚を運んであきないをしている仲仕(なかし)がいました。しばらくたったある日のことです。 にごり池のえんこうは、池のすぐそばを通って東城のほうに歩いていく仲仕をよびとめました。「すまんけど古川池のえんこうに 手紙を届けてつかあさい。」わしがじかに(直接に)ゆきゃあえんじゃが、頭の皿の水が干あがってしまうと困るけえ助けてつかあさい。」

仲仕は、どうせ便(びん)だからと、こころよくひきうけました。油木までたどりついたころ、ちょうどお昼になったので、 茶店(ちゃみせ)に腰かけ弁当をひらきました。お茶を飲みながら仲仕は首をかしげてつぶやきました。 「えんこうがなんじゃいうて手紙なんかことづけるんじゃろう。」仲仕は、ふところからえんこうにことづかった手紙を出して ひらいて見ましたが、あいにく字が読めません。ただ首をひねるばかりです。そこで茶店のおやじに、「けさがたのう、えんこ うに手紙をことづかったんじゃが、やっぱり人間みたいに用があるんかのう。へえじゃが、わしゃあ学問しとらんけえ字も読みゃ あせず、なにが書いてあるかさっぱりわきゃあわからん。おやじさんは字が読めるんじゃろう、ひとつ読んで聞かせんさい。」と話しかけました。

奥から出てきた茶店のおやじは、「ちったあ読めるがの、ちいとむずかしゅうなるとおえん(わからん)て。」といいながら、 手紙を手にとってじいっと見ていましたが、急に顔色をかえて、「あんたあ用心しんさらにゃあ。これにゃあのう<99つべに生 (なま)つべ一つせいてまいらしょう>とあるぞな。つべいやあ人間のはらわたじゃがな。つまりのう、わしゃあ99つべを手に 入れ、これでちょうど100になるが、最後の一つを土産にお前にわけてやろうちゅうことが書いてあるんじゃ。せえじゃけえ、 あんたがこの手紙ゅう持ってえんこうのとこへゆきゃあ、あんたあはらわたを尻からぬかれてしまうぞな。」と大声で教えてやりました。

仲仕は、とんでもないことをひきうけたもんだと、びっくりぎょうてんしました。「せえじゃが、つべょをぬかれん方法を考えりゃええ。 つべょをぬかれるんがいやじゃったら、わしのいうようにしてみんさい。」そういうと、茶店のおやじは仲仕に智恵をさずけました。 「古川池のほとりに、手紙ゅすける(おく)のにええところがありゃあせんか。」「そりゃあ、あるにゃあある。」「東城へいく道の、 遠いところからその手紙ゅうすけたところが見えるかの。」「そりゃあ見える。」「そんならのう、手紙ゅうすけて、遠いところまでいって、 古川池のえんこうにおらんで(大声をあげて)知らせてやって、あんたあすぐに逃げんさい。」

そこで仲仕は、古川池のそばまでくると、茶店のおやじのいったとおりにして、東城のほうに大いそぎで走って逃げました。 古川池のえんこうは、手紙を見ると、すぐあとを追いかけましたが、仲仕をつかまえることはとうとうできなかったといいます。

さて、古川池のえんこうには、つぎのような話ものこっています。

古川池の近くに、うの子(屋号)という大分限者(ぶげんしゃ)の家がありました。うの子の家では毎年夏のさかりに、 おおぜいの人をたのんで田の草とりをしていましたが、ある年のこと、古川池のえんこうがよく田の草をとるというので、 たのんだことがありました。えんこうは人間のつべが大好物なので、草とりのさいちゅうでも、となりの人の尻にすぐ 手を出すのです。そこで人間たちは、鎌を尻にぶらさげて田の草とりをするようになりました。というのは、えんこうは金気 (かなけ)のものが大きらいなので、人の尻に手を出すと鎌にあたって、あわてて手をひっこめるからです。これでみんなは 安心して田の草とりができるようになったといいます。

この古川池のえんこうも、ある日のこと、だれかが古川池のなかに鎌を投げこんだので、えんこうはびっくりして、 そのままどこかにいってしまったということです。

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